2010-01-01から1年間の記事一覧

小沢グループの多数派工作

いろいろな噂が飛び交っている。小沢グループが野党各党各派を含めて多数派工作をしているという。鳩山には「もう1回首相をやれよ」と言い、森善朗とは阿吽の呼吸でウインクを送っている。 去年の今頃、覚せい剤騒ぎがあった。あれは、大物政治家のバカ息子…

用済みになった新聞記者達

政権交代でマスコミに関わる人たちが期待していたこと、それは情報公開だった。記者クラブという閉鎖集団が解放されると期待した。しかし、それは平野官房長官(鳩山内閣)により拒否されてしまった。 記者クラブ解放は8年前から検討されていたのだが、実現…

お盆と素麺

お盆というと仏教というイメージだが、仏教には霊魂という概念がない。麦がとれて、粉にして、素麺を作る。米⇒餅⇒正月だが、麦⇒素麺⇒お盆。 お米と日本文化についての考察は多々あるが、麦と日本文化の考察、聞いたことがない。

舌状台地の尾根道を歩く

日吉辺りの舌状台地、標高40mくらいなのだが、南生田から百合丘辺り、どれくらいの標高なのだろう? 多摩ニュータウンだと100m以上はある。その中間くらいだから50〜80mくらいだろうか? 百合丘は団地族発祥の地で半世紀の歴史がある。

私の原風景

ニューギニアの原住民・高地人のレポートが朝日新聞に連載されたことがあった。45年ほど前のこと、記者の名前は本多勝一。面白く読んだ。で、私のルーツだとも思った。 ここに西丸震哉も行っている。彼の紀行文も面白い。

富国有徳

昔の言葉には含蓄がある。小渕首相が標語にした。

後頭部を冷やしながら

高校時代、日記を書いていた。浪人中を含めて4年間書いた。今、平成16・2004年からブログを7年書いている。 文章を書くと自己嫌悪が付きまとう。文章を書き続けることが出来るというのは異常性格者だと思っている。先ず、露出狂であって、それ自体病的であ…

大暑は23日

今週の金曜日から大暑。夏本番になる。立秋は8月7日、文月は10日から、3週間で秋になる。

7月16日という記念日

3日遅れで思い出した。7月16日を記念しようと思っていたのだが、完全に忘れていた。2つある。1つはネバダで原爆実験がなされた。1945年。もう1つはヒジュラ・メディナ・聖遷、イスラーム出発の日。622年。 日本は唯一の被爆国だと言われているが、もう…

自意識とは

鏡の中に写っている自分のこと。

東アジア人という自覚

楽天で杉山巡と名乗っている。「杉山さん、日本人ですか?」という質問を時々受ける。はてな・の・HIROMITIさんのブログを読んでいて、私はやはり日本人ではないな〜と思うようになった。 私のルーツは2分の1沖縄、4分の1大阪、4分の1近江・滋賀である…

にぎにぎを役人の子はすぐ覚え

江戸時代に作られた川柳で、これは直ぐに発禁になった。本当の話、闇に葬られる。 その一例として、統一教会の幹部が逮捕・起訴された裁判でのこと。昭和45・1970年の9月に世界反共連盟(WACL)の大会が東京で開かれた。この大会の実質的な推進団体が統一教…

政治家と官僚について

民主党は激しく官僚批判をしていた。彼らが政権をとって、何が起こるか? 結論から言うと、全くの肩透かし。元大蔵官僚が新興の通産・運輸などの官僚を批判、官僚同士の勢力争い、それに利用されただけではないか。大蔵省出身の政治家、池田・福田・野田が三…

猪瀬直樹「ミカドの肖像」、永井路子「岩倉具視」

永井の本は「陰謀史観業界」に衝撃を与えた。 孝明天皇を暗殺して15歳の明治天皇たてた、こういう噂が明治初期から囁かれていた。この情報を正式に歴史家が問題にしだしたのは戦後の事で、それはアーネスト・サトウの日記に書かれていたからである。サトウの…

大正時代に興味を持った理由

大宅壮一の絶筆に「炎は流れる」がある。大正時代とは何か? それに迫るために乃木大将の自決から時代を遡って赤穂浪士に討ち入りまで。現代(1966年)から大正時代へ、その途中で彼は死んでしまった。60年代中頃、沖縄の本土復帰が大きな時代関心だった。 …

政権交代で見えてきたこと

京都のお公家集団と関東・九州の武家集団、この対立・共存・交代がこの日本の1000年でした。鎌倉幕府は関東で組成しました。これが建武の中興で壊滅、足利は関東勢ですが、敗北して九州に流れて、熊本の菊池衆の後押しで、京都に幕府を造りました。これは信…

38歳にして惑わず

孔子は40にして惑わずと言った。ここに38にして惑わずと決意表明した人が居る。小島慶子である。ラジオ・パーソナリィーに徹するという。 彼女のエッセーを読むために月刊・文芸春秋8月号を買った。¥780.

眠れぬ夜の小島慶子

時に眠れない夜があるのだが、小島慶子というTBSのアナウンサーとお喋りをしている。私と同じように彼女とお喋りをしている人、全国に5万人くらいは居るだろう。新人の頃から知っている。日曜の午後、ダブル小島(もう1人、小島という男性アナウンサー)で…

新しい情報との出合の場

ラジオである。休みの日にしか聞けなかったのだが、最近ではポッドキャスティングで欠かさず聞きたい番組のコーナーを聞けるようになった。TBSが多い。朝から、森本毅朗のスタンバイ、朝刊読み比べは毎日聞いている。あと、水曜の森田さんと金曜の小沢さん。…

ブログ7年

ブログを始める7年前は、文章と言っても同人誌に書くくらいで、昔は、新聞記事なども書いていて、それなりに社会に対してオピニオンを、と思っていた時期もあった。 しかし、心筋梗塞になって、リハビリの延長線上で警備員をやっていて、職場であった多摩ニ…

アメリカ独立記念日

銃規制、アメリカの憲法で禁止されている。国民は民兵を組織する権利を有する。それは政府が腐敗・堕落する可能性があって、それを改革・改善するのは国民の権利であるという。そのためには銃を持って立ち上がれ! これがアメリカの憲法であり、1776年7月4日…

機密費の暗躍

対談「中国を考える」文春文庫:司馬遼太郎と陳舜臣の対談である。この2人、大学時代から交友がある。大阪外国語学校、司馬は蒙古語、陳は印度語、大阪と神戸。 私は若い頃から、この陳舜臣に共感するところが多く、司馬の本を熱心に読むようになったのは最…

ポスト内田樹

内田樹の次は原武史。今週のアエラ、原武史が特集で取り上げられていた。巻頭言は内田樹。フランス現代思想も新鮮味がなくなって、一部回顧趣味の人たちの慰みものになっている。 松本清張、小倉の人である。日本の謎、ヘソは小倉だと思っている。

戦国の経営手法だった大陸進出

司馬遼太郎の盟友・陳舜臣は秀吉の大陸侵攻をアジア大陸の自然現象と解説した。中原の王朝が弱まったら、周辺諸民族から中原に出る、これが中国古来からの慣わして、秀吉はその一例でしかないという。 侵略とか収奪というのは近代西欧概念であって、古来、ア…

公文書としての日本語は存在するのか?

大正期の碑文は全部、漢文でした。大正天皇が漢文を好み、自らも漢詩を嗜みました。また、日韓合邦という建前からしても韓国・朝鮮人にも分かる漢文が公文書としての位置を占めていました。 杉山神社の巡拝をしていると、所々で、漢文の碑文に出くわします。…

イギリス世界支配の基本技

イギリスは自分達の政治力を発揮させるために、影響圏にある隣接する部族・民族を仲違い、張り合わせて統治する。それが彼らの基本技である。 アイルランドはカトリックの国である。その一部にプロテスタントのスコットランド人を移住させ対立させた。これが…

戦国時代は女の争いから

徳川家康を書いた山岡荘八は戦国時代、女は男達の争いの犠牲になったと認識している。戦争が終わって平和な時代になった。戦国時代を終わらせた徳川家康に戦後の平和な時代の指導者像を求めた。 しかし、私はこの山岡の説では物足りない。戦国時代は日野富子…

押し込めの前触れとしての原敬暗殺

原敬が暗殺されたのは、大正10・1921年11月4日である。昭和天皇が摂政になったのが、同年11月25日。ただの偶然なのかもしれない。 大正天皇と原敬、相性が良かった。原の暗殺理由とその背後関係、明瞭になっていない。原が皇室内部に介入しすぎたと言われて…

御家中文化

司馬遼太郎は裃が背広に変わっただけで、藩の侍意識が各会社に受け継がれている。各地の人々も江戸時代と意識は変わっていない。 私は金沢に6年住んでいた。金沢の人たちは前田候のことを単に「殿様」という。東京近郊の文学館、駒場の近代文学館や鎌倉の文…

西暦と昭和天皇

昭和天皇は明治34・1901年生まれである。だから、数え年と西暦が一致する。岡潔も同じ歳で彼は西暦を愛用していた。歳を数えるのに便利だからで、日本製の年号にこだわること自体、考え直した方が良いのかも知れない。 ただ、私の場合、影山正治への義理立て…