御家中文化

 司馬遼太郎は裃が背広に変わっただけで、藩の侍意識が各会社に受け継がれている。各地の人々も江戸時代と意識は変わっていない。

 私は金沢に6年住んでいた。金沢の人たちは前田候のことを単に「殿様」という。東京近郊の文学館、駒場近代文学館や鎌倉の文学館は前田候のお屋敷だったところである。そこに行くと「今日は殿様のお屋敷に行った」という。現在も殿様とどこかで一緒に生活をしている。

 金沢から数キロ離れたところに松任という街があるのだが、その近郊の農村の人たちは金沢のことをお城と呼ぶ。「あんたたち、お城から来たんかね」と聞いてくる。

 明治維新は下級武士達による革命だった。それも長州や薩摩という上方・江戸からみたら辺境の藩で、その藩の下級武士だったから、かなり・ねじれた武家・選民意識で、彼らに西洋風選民意識も加わって、それが大陸に進出して不思議なエリート意識が形成されてきた。

 戦争で破綻するのは時間の問題だった。このねじれた選民意識が日本古来の伝統と認識している文化人達が居る。