眠れぬ夜の小島慶子

 時に眠れない夜があるのだが、小島慶子というTBSのアナウンサーとお喋りをしている。私と同じように彼女とお喋りをしている人、全国に5万人くらいは居るだろう。新人の頃から知っている。日曜の午後、ダブル小島(もう1人、小島という男性アナウンサー)で歌謡曲のリクエスト番組をやっていた。15年くらい前の話。

 「自意識が強くて性格が悪い女」というのが私の印象だった。ラジオで聞いていたので顔は知らない。その彼女がアクセスというリスナー参加番組のナビゲーター(司会・案内人)に採用された。私はファックス会員に登録して、毎日、TBSからファックスが来るようになり、ニュースを選んだり、感想・意見を書いたりした。

 何度か、私のコメントを放送で読んでもらったこともあった。10年以上も前のこと。同じ番組に出ていた宮崎哲弥も彼女のことを「自意識が強くて性格が悪い」と言っていた。

 久米宏の「ラジオなんですけど」に出ていて、去年の4月からお昼13:00〜15:30のメイン・キャスターになった。火曜日に出ている神足裕司さんはアクセスでも一緒だった。神足さん、アクセス放送中に倒れて救急車で運ばれるということがあった。その放送も聞いていた。

 私は放送を聞きながらウトウト眠ってしまっていた。すると突然、夢の中に小島慶子さんが現れて「神足さんが倒れました」という。えっ!と、目を覚ますと放送で神足さんが救急隊員に運ばれる状況を小島さんが中継していた。

 自分の生活の一部にラジオ放送がなっている。

 今日、仕事に出かけたのだが、電車が東神奈川に着く手前で携帯がなった。「雨で中止」で、電車を下りずにそのまま席に座って、引き返し、十日市場で下りた。

 お昼、小島慶子のキラキラ聞いていた。彼女のお母さんは昭和12年生まれで彼女が7歳のときにシンガポールに居て、南十字星を指差しながら「さらばラバウルよ」という軍歌を歌ってくれたという。彼女は昭和47年オーストラリアで生まれている。私とは2周下の「壬(みずのえ)子」で木村カエラはその1周下の「甲(きのえ)子」である。私は「戊(つちのえ)子」である。同じねずみ年という共感がある。

 15年分の個人情報のデータがある。で、いろいろとあの時はああだった、こうだった、と、お喋りが出来る。今のところ、鬱になっている閑がない。