公文書としての日本語は存在するのか?

 大正期の碑文は全部、漢文でした。大正天皇が漢文を好み、自らも漢詩を嗜みました。また、日韓合邦という建前からしても韓国・朝鮮人にも分かる漢文が公文書としての位置を占めていました。

 杉山神社の巡拝をしていると、所々で、漢文の碑文に出くわします。関東大震災にあって、かく再建したという意味合いで書かれています。

 今、われわれが使っている漢字かな交じり文は「漢文書き下し文」からのものです。江戸幕府の高級役人達は漢文を見事に操っていました。ペリーは日本との交渉で英国と清との取り決めを踏襲しようと文書を示しましたが、幕府役人は漢文の部分を読んで、これは戦争終結の文書であって、日本とアメリカは戦争をしていないのだから、これは不適切と指摘しました。

 次の年に日米和親条約が結ばれましたが、これに不平等な部分はありません。確りした役人が交渉したわけです。この役人は徳川慶喜派でした。次の通商条約が不平等でこれを交渉したのが反慶喜井伊直弼派で役人としては無能でした。

 今の時代、外交文書、英語で書かれているのが公文書で日本語はその参考文献でしかありません。

 常に、日本語は外国の言葉に堪能な人たちによって、リードされてきました。