2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

80歳まで生きてみようか?

心筋梗塞で入院したのが50歳だった。1か月入院していたのだが、その時、担当の看護婦さんから「あと、30年生きること考えないといけませんよ」と言われてしまった。顔黒・ガングロに近い化粧の人で、こちらも油断していたのだが、ドキリとする一言だった。 …

5月の赤い薔薇

5月は赤い薔薇。品川に居た頃、ブロック塀から顔を出していた。

小西甚一の日本文学史

ドナルド・キーンが日本に帰化した。このキーンが一番評価していた日本人が小西甚一である。その切っ掛けがこの「日本文学史」という本だった。 キーンは京都から東京まで、当時(昭和28年ごろ)は7時間かかった。その車中の時間つぶしで読んだという。 キ…

復興、てんでんこ

縦割り・横並びが日本の組織の特徴だという。これでは危機を乗り越える事は出来ない。危機を乗り越える、その「キー・ワード」は遊びである。 「皆さん、復興遊び、やりませんか?」こういう試行錯誤、その積み重ねから、新しい時代の何か? が、見えてくる。

雀からのプレゼント

生ゴミを乾燥させて出している。ゴミの軽量化、お茶、玄米茶を飲んでいる。そのお茶っ葉も乾燥させるためにベランダに出している。玄米を食べに雀がやってくる。中には部屋の中まで入ってくるのもいるのだが、部屋の中で雀を見ると意外と大きい。 鳥は皆、飛…

切り通しに架かる橋

長津田台、それは私の散歩コースにある。横に旭区若葉台団地、帷子川の源流地なのだが、ここに私の知り合いが住んでいたことがある。25年も前のことで、十日市場からバスで来ていた。まさか、20年後、この近所に私も引越し来るとは思わなかった。 環状4号線…

空が紫色だった頃の大阪について

私は大阪の西成区で生まれ育った。昭和35年ごろ、私は小学生から中学生になろうとしていた。その頃、西方向に大正区があり、そこは大きな工場が大きな煙突からモクモクと朱色の煙を毎日、吐き出していた。 今の若い人には信じられないだろうが、公害が叫ばれ…

弥生朔日の楽天日記

平成23・2011年4月3日 英語の聖書について 花見と日曜散歩平成22・2010年4月14日 辰弥生朔日平成21・2009年3月27日 テポドンが竹光になる日平成20・2008年4月6日 内容と形式 They found out the truth 新人の季節 命日が9月13日平成19・2007年4月1…

トリプル災害後の日本

計画停電はやらないようだ。余りにも影響が大きい。いろいろな提案がなされているが。 電力、発電会社と送電会社に分離案が出ている。これに発電組合を作って、ピンポイントでの自主発電で消費した残りを送電会社に売る、そういうシステムが出来ると面白い。…