2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

戦国の経営手法だった大陸進出

司馬遼太郎の盟友・陳舜臣は秀吉の大陸侵攻をアジア大陸の自然現象と解説した。中原の王朝が弱まったら、周辺諸民族から中原に出る、これが中国古来からの慣わして、秀吉はその一例でしかないという。 侵略とか収奪というのは近代西欧概念であって、古来、ア…

公文書としての日本語は存在するのか?

大正期の碑文は全部、漢文でした。大正天皇が漢文を好み、自らも漢詩を嗜みました。また、日韓合邦という建前からしても韓国・朝鮮人にも分かる漢文が公文書としての位置を占めていました。 杉山神社の巡拝をしていると、所々で、漢文の碑文に出くわします。…

イギリス世界支配の基本技

イギリスは自分達の政治力を発揮させるために、影響圏にある隣接する部族・民族を仲違い、張り合わせて統治する。それが彼らの基本技である。 アイルランドはカトリックの国である。その一部にプロテスタントのスコットランド人を移住させ対立させた。これが…

戦国時代は女の争いから

徳川家康を書いた山岡荘八は戦国時代、女は男達の争いの犠牲になったと認識している。戦争が終わって平和な時代になった。戦国時代を終わらせた徳川家康に戦後の平和な時代の指導者像を求めた。 しかし、私はこの山岡の説では物足りない。戦国時代は日野富子…

押し込めの前触れとしての原敬暗殺

原敬が暗殺されたのは、大正10・1921年11月4日である。昭和天皇が摂政になったのが、同年11月25日。ただの偶然なのかもしれない。 大正天皇と原敬、相性が良かった。原の暗殺理由とその背後関係、明瞭になっていない。原が皇室内部に介入しすぎたと言われて…

御家中文化

司馬遼太郎は裃が背広に変わっただけで、藩の侍意識が各会社に受け継がれている。各地の人々も江戸時代と意識は変わっていない。 私は金沢に6年住んでいた。金沢の人たちは前田候のことを単に「殿様」という。東京近郊の文学館、駒場の近代文学館や鎌倉の文…

西暦と昭和天皇

昭和天皇は明治34・1901年生まれである。だから、数え年と西暦が一致する。岡潔も同じ歳で彼は西暦を愛用していた。歳を数えるのに便利だからで、日本製の年号にこだわること自体、考え直した方が良いのかも知れない。 ただ、私の場合、影山正治への義理立て…

戦後をリードした満鉄・物産文化

東大の人が大学というと東大を意味します。塾というと慶応で専門学校というと早稲田です。三井物産の人は自分達の会社を物産と言います。関連の会社が皆、三井〜と名乗っていますから、物産といわざるをえないのかもしれません。 マグロのトロは脂が強くて昔…

六甲の山の雪

大阪からも六甲の山の雪が見えた。私は中学・高校と電車通学をしていたのだが、南海・汐見橋線津守駅から乗っていた。50年前のこと、大きな高い建物がなかったので、海の向こうの六甲山が見えていた。 大阪・京都・神戸とお互い個性的な街で、それぞれお互い…

秦の始皇帝の間違いについて

中国は昔、9つの州から成り立っていた。だから、自分たちのことを「九州」と称した。それを秦の始皇帝が統合して皇帝となり、1つの国、中国となった。これがそもそもの間違いだった。 9つの国がお互い連携すれば好いことで、無理に統合する必要はない。 …

杉山史観はパンパン史観

私が小学校3年のときに、昭和31・1956年ですが、「学校で学んでいること」全部ウソではないのか? と思い始めたことがありました。日本がアメリカと戦争して負けた事とか、そう疑いながら、自宅近所の商店街を歩いていると、前方にパンパンと後ろ指を差され…

私のドイツ語の先生は

私のドイツ語の先生は慶応大学の法学部を出た人で、普段はドイツに住んでいる。時々、日本に帰ってきて、つかの間、自宅でドイツ語を教えている。私も数ヶ月習いに行った。テキストは関口在男で、読んでいると、「その発音、この前行ったスイスの山奥の郵便…

私が習った歴史の先生

母親から:母は大阪の人で司馬遼太郎とは同じ塩草小学校、歳は3つ上なので3年間は同じ時期通っていたことになる。母から聞いた歴史は仁徳天皇の「民のかまど」の話、これは学校の宿題で母親から聞いた話を作文にすることだった。 母は沖縄の戦争の話をした…

皇国史観とは日韓合邦史観

朝鮮の歴史に武家政権がなかった。その兆候(崔氏政権)はあったのだが、蒙古・元の侵略と戦って、珍島から斎州島まで退いて抵抗したが消滅してしまった。だから、日本のように鎌倉から江戸までの武士による政治運営がなかった。 武家政権とは(体育会系+理…

お米が主食という間違いについて

稲作は縄文人の「お遊び」からはじまったという人がゐる。私も賛成である。24節気の一つに芒種というのがある。稲のような穂先のある植物が育つ頃という意味で、6月6日頃から夏至に至るまでで、丁度、今の季節である。 稲が南方から伝わったのであろうが、…

田中義一の独り歩き

田中義一という総理大臣がいた。張作霖爆殺(奉天事件)で昭和天皇から叱責、総辞職した。2か月後、彼は持病の狭心症発作で死んだ。 彼が作成したという「大陸侵略計画」が文書として中国で作られ、それがドイツでも秘密資料として出回っている。これを根拠…

ドイツの二枚舌外交

「今度はイタリア抜きで・・・」とドイツ人が日本人に言うそうだ。これは庶民レベルの善意である。 ドイツは表では日本と同盟をしていたのだが、裏では中国に軍事・経済援助をしていた。中国人がドイツ軍に好意を持ったのは義和団事件以来で、日本軍は軽蔑さ…

日本が戦争に引きずり込まれた要因

大東亜・太平洋戦争に日本が引きずり込まれた要因3つあると思っている。朝鮮・沖縄・広島の3つである。3つともそれぞれ天罰を受けた。歴史の神は公平である。 朝鮮の併合は明治43・1910年8月22日である。正式に日韓合邦と言おう。日本は朝鮮に今のお金で…