政権交代で見えてきたこと

 京都のお公家集団と関東・九州の武家集団、この対立・共存・交代がこの日本の1000年でした。鎌倉幕府は関東で組成しました。これが建武の中興で壊滅、足利は関東勢ですが、敗北して九州に流れて、熊本の菊池衆の後押しで、京都に幕府を造りました。これは信長に滅ぼされて、関東を基盤にした徳川家が幕府を江戸に開きます。

 この江戸幕府は薩摩・長州という西国(主に九州)勢力によって倒されます。明治政府は菊地衆による足利幕府のようなもので、王政復古とは名目だけでした。しかし、天皇・公家集団を核に官僚組織が出来上がりました。また、自由民権運動から政治家・代議士集団も出来ました。なにやら昔の武家集団のようにも見えます。

 貴族院から参議院と名前は変わりましたが、実質の利権議員たちが参議院の実態です。大正期、この利権集団の貴族院を改革しようと立ち上がったのが徳川義親でした。しかし、その目論見は挫折。彼は軍と提携したグーデタを画策しますが、これも挫折。戦後、そのグーデタ資金の残金を日本社会党の設立に廻します。

 この1000年の綱引きを今も続けています。今日はその投票日です。