押し込めの前触れとしての原敬暗殺

 原敬が暗殺されたのは、大正10・1921年11月4日である。昭和天皇が摂政になったのが、同年11月25日。ただの偶然なのかもしれない。

 大正天皇原敬、相性が良かった。原の暗殺理由とその背後関係、明瞭になっていない。原が皇室内部に介入しすぎたと言われている。それを憤った右翼が犯行を単独でやったと言うことになっているが、本当は?

 この辺の事情に詳しいのは小沢一郎の参謀・平野貞夫である。原は岩手の出身、同郷の先輩、民主主義の旗手として原敬小沢一郎は尊敬している。大正時代、民主主義の試行錯誤をしていた。

 国家を法人として規定する天皇機関説論議された。海軍は認めたが陸軍は認めなかった。しかし、本当の所はどうだったのか?