戦国の経営手法だった大陸進出

 司馬遼太郎の盟友・陳舜臣は秀吉の大陸侵攻をアジア大陸の自然現象と解説した。中原の王朝が弱まったら、周辺諸民族から中原に出る、これが中国古来からの慣わして、秀吉はその一例でしかないという。

 侵略とか収奪というのは近代西欧概念であって、古来、アジアでは強い・経営能力のある一族がその地域を支配した。国家・民族という言葉もシオニズムに発している。つい、最近の概念である。

 明治日本は西欧の法概念と軍事力を輸入したのだが、その運営は、はなはだ、日本的だった。陸軍と海軍は別個の集団となって、対立した。また、法学者は別なグループを作った。

 司馬遼太郎陳舜臣も、また、台湾の李登輝も学徒動員世代である。この軍事知識に乏しい、また、軍隊経験の乏しい、しかし、文筆が立つという人たちが大量に戦後復員してきた。そして戦争を語り軍事を語り、戦前の歴史を語った。

 これが、戦後、日本混乱の要因となった。