杉山史観はパンパン史観

 私が小学校3年のときに、昭和31・1956年ですが、「学校で学んでいること」全部ウソではないのか? と思い始めたことがありました。日本がアメリカと戦争して負けた事とか、そう疑いながら、自宅近所の商店街を歩いていると、前方にパンパンと後ろ指を差されている2人連れの女達が歩いていました。当時、頭にタオルを巻いて、服装もそれと分かる、多分、風呂屋・銭湯に行くのでしょう。

 その姿を見て私は日本がアメリカに戦争で負けたことを納得しました。それが私の政治と歴史への関心の出発点でした。当時の日本人はこのパンパン・ガールを人間として認めていませんでした。彼女達を人間扱いしたのはアメリカ人で結婚もし、また、離婚もしました。


【ここまで書いたときに会社から電話、仕事に出てくれ、8:15。行き先は下丸子・内田先生ご生誕の土地。行くと近くに小学校、矢口西小学校、はて、先生の学び舎か? と思ったのだが、矢口は中学の方だった。そう都合良くはいかない】


 小学校4年のとき(昭和32・1957年)に共産党の本を読んだ。父が会社から持ち帰った炊きつけ用の雑誌の中にあった。私の住んでいた家は四軒長屋で昭和8・1933年築で戦災には合わなかった。家の中にレンガ作りの竃(へっつい)があって、薪も使っていた。

 その燃やされるべき雑誌には「労働価値説」「剰余価値論」「戦前の軍国主義批判」が書かれていた。

 世の中は60年安保の時代に入っていった。自民党共産党、どちらの意見が正しいのだろうか? 70年安保の頃には大学生になっている。それまでにどちらの陣営に居るのか? よく勉強しようと思った。