私のドイツ語の先生は

 私のドイツ語の先生は慶応大学の法学部を出た人で、普段はドイツに住んでいる。時々、日本に帰ってきて、つかの間、自宅でドイツ語を教えている。私も数ヶ月習いに行った。テキストは関口在男で、読んでいると、「その発音、この前行ったスイスの山奥の郵便局のオジサンがそういう発音でしたね」という。

 彼女に初めて会ったとき、サザエさんのワカメちゃんが被っているような帽子で少女時代から一歩も抜け出ていないような風情だった。彼女のドイツでの先生はロシアからの引揚者で難民1万人のリーダーだったという。

 共産主義という理念に共鳴して、たくさんのドイツ人がロシアに入植した。そして、戦争・敗退、その中で多くの犠牲者がでたのだが、有能なリーダーに恵まれた人たちが命拾いした。

 私は彼女を通じて、ウクライナを西に逃げるドイツ人達の事情を知った。100万に近くの行方不明者のことが話題になる数年前のことだった。