田中義一の独り歩き

 田中義一という総理大臣がいた。張作霖爆殺(奉天事件)で昭和天皇から叱責、総辞職した。2か月後、彼は持病の狭心症発作で死んだ。

 彼が作成したという「大陸侵略計画」が文書として中国で作られ、それがドイツでも秘密資料として出回っている。これを根拠として日本に大陸侵略の意図ありと中国人活動家は主張している。また、この文書をテーマにしたドラマが韓国で作られて、視聴率をとったという。

 これに似たような計画書は本願寺大谷光瑞が作っているのだが、これをヒントに毛沢東が「農村から都市へ」という革命プランをパクっているので不問にされている。浄土真宗は長州・毛利家の宗旨で関が原の前は広島を拠点にしていたので、熱心な信者が広島に多い。安芸門徒という。

 毛利家のルーツは神奈川・厚木で南毛利中学というのが厚木市内にある。

 石川県はこの真宗の信心が篤く、若き兵隊は尖兵になった。旅順203高地でも、沖縄でも石川県の連隊だった。