2011-01-01から1年間の記事一覧

腐草蛍

ホタルは既に飛んでいる。飛んでいるのが当たり前の時代から、今は希少価値らしい。しかし、どこの建築会社も「生物多様性」とか、標榜して、環境を整えた年造りをしている。 その成果は、ホタル飛んでいて当たり前という時代になって欲しい。 私の家内は山…

ジャーナリストは予想を外す

予想・予言が当たると素晴らしいと評価されるのだが、これはまぐれ当たりもあって、好ましい傾向ではない。事故・事件は起こらない方が良いのだが、起こった場合、どう対処するか、したのか、これが重要である。 現実に現れた事実のみで予想を組み立てると、…

海軍主計官という立場

私は警備員になって、12年目なのだが、新米の頃、先輩に「元海軍主計官」だった人が居た。「中曽根さんの後輩ですか?」と聞くと、「そうなんだよ」と喜んでくれた。彼から私は敬礼について教わったので、海軍直伝の敬礼を毎日やっている。 彼は近眼で現場に…

小西克哉と出会っていたかも?

昔、新聞の拡張員をしていた頃があった。35年も前、練馬・千川通りを入った木造モルタルのアパート、2階建て上に2世帯、下に2世帯、下左側に入ると、大阪弁で眼鏡をかけた学生が出てきた。東京外語大に行っていると言う。小西と言ったかどうかは忘れてし…

言葉の中に住んでいる私

われわれは言葉の中に住んでいる。丁度、家の中に住んで雨風をしのいでいる、それと同じように言葉と言う防壁で自分を防御している。時々、この言葉の外に出る必要がある。 自分を客観的に見るのは難しい、しかし、自分に気づくときがある。それは、歌を聴い…

私のタヌマー歴

楽天のブログに書いたもの【平成16・2004年4月25日】賄賂饅頭の憂鬱 静岡県相良町で町興しのの一環として「ワイロ饅頭」を売り出した。六個千円で箱に入っている。その饅頭の下に「下心」と書かれたパンフレットを入れている。藩主だった老中・田沼意次の人…

大和田と呼ばれていた渋谷の町々

トースト食べ放題の喫茶店が渋谷にあった。公園通りを下りてきた突き当り辺り。その横に国鉄の荷物専用駅があった。まだ、宅配便が始まった頃で、大きな荷物の主力は国鉄の鉄道便だった。駅止め、それを自転車で取りに行った。 ある時に、神戸に大きな荷物を…

昭和49・1974年冬至

次、東京に移り住んだのが昭和49・1974年冬至だった。岐阜からの移動で大垣発の普通・夜行で早朝、東京に着いた。そのまま東京温泉に行く。このときは半年、練馬に住んだ。富士見台で四商通りと地元の人は呼んでいた。 自転車で阿佐ヶ谷の商店街に行ったとき…

クチナシ・梔子・くちなしの花の匂い

6月の東京は私にとって特別の思い出がある。梔子の花の匂いで、44年前のことだ。 大阪からブルートレイン・夜行で品川に着き山手線に乗り換えた。渋谷で下りたのが早朝、6月4日、日曜日だった。南口を出て、バス・ターミナル、玉川線の線路の跡が残ってい…

自治活動の原点

今回の震災で分った事は自治活動の原点である。「困っている人を助ける」これが自治活動・政治活動の原点である。

私とは何か?

ドイツ語で ich 一人称の「私が」なのだが、この一人称、神が使う、人間は二人称の du で、韻文では、人間としての自分のことを「おまえ」という。他人にたいして、Sie は丁寧語なのだが三人称扱いとなる。 日本で「世間様」という三人称は意味からいうと西…

台風1号

フィリピン沖で台風1号が発生。夏が遅い、なんとかニーニョのせいとか、今年はどんな夏になるか? 猛暑は当分いい。去年で10年分はやった。9・11のあった年も暑かった。9年周期、だと、次は2019年。

電磁波の構造について

高校時代、アマチュア無線をやっていた。1960年代だったから、IC回路もない時代、真空管が全盛だった。入門書には電波の構造についての解説があった。 電位の波と電磁の波が90度でお互いに影響しながら、進んで行く。この説明、未だによく分らない。大きな磁…

自分の目線で信じている世界

放射能に関しては御用学者と呼ばれている人たちの意見、納得できる。未知の分野だから将来どうゆう結論が出るか分からない。こういう場合、自分の直観を信じる。

明日から立夏

明日から立夏になる。立夏⇒小満⇒芒種⇒夏至⇒小暑⇒大暑⇒立秋、卯月⇒皐月⇒水無月、今年はどうゆう夏になるか?菖蒲な花が咲き始めた。芒種になるとホタルなのだが、この「小満」まだ、意味がつかめない。

夏のはじまり

暦の上では夏なのだが、肌寒い。連休明けに寒い日があって、それ以降、さわやかな初夏になるのだが、梅雨に入り、梅雨明けから猛暑になる。梅雨明け10日が暑いといわれているのだが、去年は10日どころか75日だった。 今年はどうだろうか?

夏の到来

5月、3日が卯月朔日、6日が立夏、夏の到来である。初夏の清々しさが入梅まで続く。6月に入ってのホタルが楽しみである。躑躅、皐、藤、ハナミズキ、そして、薔薇、今日は昼から穀雨の雨。

80歳まで生きてみようか?

心筋梗塞で入院したのが50歳だった。1か月入院していたのだが、その時、担当の看護婦さんから「あと、30年生きること考えないといけませんよ」と言われてしまった。顔黒・ガングロに近い化粧の人で、こちらも油断していたのだが、ドキリとする一言だった。 …

5月の赤い薔薇

5月は赤い薔薇。品川に居た頃、ブロック塀から顔を出していた。

小西甚一の日本文学史

ドナルド・キーンが日本に帰化した。このキーンが一番評価していた日本人が小西甚一である。その切っ掛けがこの「日本文学史」という本だった。 キーンは京都から東京まで、当時(昭和28年ごろ)は7時間かかった。その車中の時間つぶしで読んだという。 キ…

復興、てんでんこ

縦割り・横並びが日本の組織の特徴だという。これでは危機を乗り越える事は出来ない。危機を乗り越える、その「キー・ワード」は遊びである。 「皆さん、復興遊び、やりませんか?」こういう試行錯誤、その積み重ねから、新しい時代の何か? が、見えてくる。

雀からのプレゼント

生ゴミを乾燥させて出している。ゴミの軽量化、お茶、玄米茶を飲んでいる。そのお茶っ葉も乾燥させるためにベランダに出している。玄米を食べに雀がやってくる。中には部屋の中まで入ってくるのもいるのだが、部屋の中で雀を見ると意外と大きい。 鳥は皆、飛…

切り通しに架かる橋

長津田台、それは私の散歩コースにある。横に旭区若葉台団地、帷子川の源流地なのだが、ここに私の知り合いが住んでいたことがある。25年も前のことで、十日市場からバスで来ていた。まさか、20年後、この近所に私も引越し来るとは思わなかった。 環状4号線…

空が紫色だった頃の大阪について

私は大阪の西成区で生まれ育った。昭和35年ごろ、私は小学生から中学生になろうとしていた。その頃、西方向に大正区があり、そこは大きな工場が大きな煙突からモクモクと朱色の煙を毎日、吐き出していた。 今の若い人には信じられないだろうが、公害が叫ばれ…

弥生朔日の楽天日記

平成23・2011年4月3日 英語の聖書について 花見と日曜散歩平成22・2010年4月14日 辰弥生朔日平成21・2009年3月27日 テポドンが竹光になる日平成20・2008年4月6日 内容と形式 They found out the truth 新人の季節 命日が9月13日平成19・2007年4月1…

トリプル災害後の日本

計画停電はやらないようだ。余りにも影響が大きい。いろいろな提案がなされているが。 電力、発電会社と送電会社に分離案が出ている。これに発電組合を作って、ピンポイントでの自主発電で消費した残りを送電会社に売る、そういうシステムが出来ると面白い。…

山手通りを二足歩行

東京に来て36年になる。その前は岐阜に2年、金沢に6年居た。大阪で生まれ19年居て、後は旅の日々。 金沢に居たのは昭和42・1967年7月から昭和48・1973年2月まで。金沢は戦災に合って居なかったので、江戸時代の家並みと家、それと生活習慣が残っていた。主…

イエス様の十字架の日

聖書には日食があったと記されている。これは旧暦だと朔日となる。新月である。その3日後の日曜日の朝、復活があったと記されている。 このイースター・復活祭、春分の後の満月、その次の日曜日となる。今年は満月4月18日・月曜日で、4月24日・日曜日が復活…

平成22年度終了

最終月、大きな地震・津波・原発事故と、これが長く続く。 地震については東海地震・首都圏地震についての備えが必要だと思う。原発については節電。

3・11未の刻地震以降

神様は怠惰な日本国民に蹴りを入れた。指導者は能天気、しかし、このような指導者を選挙で選んだのは日本国民である。祟りは国民が受ける。 地震・津波・原発事故、やっと報道の質が問題になり始めた。いい事である。 業者に癒着した御用学者には退散しても…