私のタヌマー歴

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【平成16・2004年4月25日】賄賂饅頭の憂鬱

 静岡県相良町で町興しのの一環として「ワイロ饅頭」を売り出した。六個千円で箱に入っている。その饅頭の下に「下心」と書かれたパンフレットを入れている。藩主だった老中・田沼意次の人となりが書かれていて、世間に伝わるワイロ政治家ではなく、誠実で有能な官吏であった事を証明するためである。

 お客さんの反応は良好で全国から注文がきているそうだ。中には、本当のお金を入れて作ってもらえませんか?という問い合わせもあるそうだ。

 この相良町の人たちの「殿様の汚名」を晴らそうという努力は30年も前から始まっている。

 後藤一朗という郷土史家がいた。静岡銀行で調査の仕事をしていた人で退職後、郷土史に取り組んだ。そこで気が付いた事が、藩主・意次の実像だった。本になっている。

田沼意次・・・ゆがめられた経世の政治家・・・」(昭和46年9月・清水書院

 私がこの本を読んだのが10月で発行されて直ぐだったのだ。33年前になる。高校で日本史を習って、3人の人物に興味をもった。藤原不比等徳川秀忠田沼意次である。先生が言った。「意次はワイロ政治家ではあったが、その政策はマニファクチャー段階の当時にとって有効で評価していい」

 後藤さんの発見とは一橋の策動である。その犠牲になった。吉宗・家重・家治の老中だった意次が狙われた。

 この本の序文を書いたのが大石慎三郎氏(学習院大学)で氏は昭和35年ごろから田沼像に疑問をもったそうだ。まいない鳥の図があり、「まいないつぶれ」の背中の紋が丸に十、島津のものである。田沼の子孫が横浜に住んでいて、資料を調べにいったそうである。

 田沼の実像はかなり知られるようになってきた。山本周五郎村上元三は善玉として小説に書いている。剣客商売にも娘が登場している。

 しかし、本格的に、全国的に、彼が認知されているわけではない。本当に、意次が認知されるためには、松平定信や吉宗の実像が明らかにする、その悪い部分である。そこまで相良町の人たちがやると嫌味である。

 静岡のお茶を飲みながら、賄賂饅頭を食べて、しばし、考えこんでいる。



【平成22・2010年7月25日】私のタヌマー歴

 政治家としての田沼意次を評価する人達をタヌマーという。

 私はタヌマーである。高校のとき(昭和40・1965年)に日本史の先生から「賄賂政治家という悪評ではあるが、マニュファクチャー段階での彼の政策は評価できる」と解説を受けた。以来、田沼意次には関心を持っている。

 後藤一朗氏の本「田沼意次・ゆがめられた経世の政治家」清水書院・人と歴史シリーズ・昭和46・1971年を読んでタヌマーになった。この本、今、アマゾンで¥6799している。

 後藤氏は銀行マン(静岡銀行)で退職後、郷土史としての田沼を研究している。以来、銀行マンを尊敬している。

 大石慎三郎田沼意次の時代」岩波書店・平成3・1991年は何度も読み返している。【引用終り】


◆7月27日が田沼意次の誕生日でキラキラの小島慶子さんも誕生日が同じ日と、話題になっていた。彼女は学習院で大石先生の授業を受けていたのかもしれない。

小説家の中にはこの田沼ファンは多い。しかし、世間一般に田沼の評価は広まらない。