昭和49・1974年冬至

 次、東京に移り住んだのが昭和49・1974年冬至だった。岐阜からの移動で大垣発の普通・夜行で早朝、東京に着いた。そのまま東京温泉に行く。このときは半年、練馬に住んだ。富士見台で四商通りと地元の人は呼んでいた。

 自転車で阿佐ヶ谷の商店街に行ったときに、スパーの店頭でマムシさんが放送をやっていた。「ああ、自分は東京に居るんだ」と実感した瞬間だった。地震が多い、兎に角、揺れる。

 東京のあちこち、自転車で移動した。高台で必ず富士山が見える。東京の道は富士山を目印に造られていることが分る。