埋葬とは手続きの連続

 病室でベットに横たわる家内の顔を見たときに「あっ、本人だ」と思った。こころの何処かに人違いであって欲しいと思っていたのだろう。何処からか、プラカードを持った人が現れて、「ドッキリです」と・・・。

 次の日の午後、死亡が確認された。医者は「臨終です」とは言わなかった。既に瞳孔も開いていたし呼吸は人工呼吸だった。13時52分の死亡確認だった。私は直ぐに何時も連絡をくれている教会の人に電話を入れた。「えっ、2、3日前、電話でお話しましたよ。ご主人がカテーテルやったって・・・」総務の人から葬儀社が紹介された。

 遺体は既に霊安室に移動している。搬送の車が16時前には着いていた。藤が丘から長津田、246は何時もの様に混んでいたが、17時前には自宅に着いた。17時過ぎに教会の人たちが、葬儀社の人たちは18時過ぎに着いた。

 私は葬儀社の人たちから説明を聞きながら、20時過ぎから親族・知人に電話で連絡を取り始めた。葬儀屋さんから「まだ、説明が終わっていません」と何度も呼び戻されたが、電話を掛けるタイミング、22時までの2時間が勝負である。

 この手続きの連続、連日、続いている。

クモ膜下出血という病気について

 大阪の漫才師に「ミスワカナ」という人が居た。森光子が「おもろい女」としてお芝居にしている。芝居では西宮球場で「クモ膜下」で倒れたことになっているが、本当は西宮北口という阪急の駅だった。36歳という若さだった。(ヰキペディアでは心臓発作になっている)

 ミスワカサの漫才をテレビで見ていたら母から「昔な、ミスワカナという人居てな、面白かったで」と何回も聞いた。その録音をラジオで聞いたことがある。ラジオ深夜便で、夜中の2時過ぎだった。その日は母の命日(8月28日)で、後から気づいたのだが、母が息を引取った時刻だった。

 テレビ神奈川の「サクサク」木村カエラちゃんがMCをしていた頃、スタッフにゴイゴイご意見番)さんという人が居た。彼も35、6で死んだ。「クモ膜下」だった。野球の木村拓也も「クモ膜下」だった。

 脳の動脈に動脈瘤が出来ていてそれが破裂する。生まれつきでそれが何時破裂するか?

 家内は脳幹の上の部分だった。破裂して出てきた血液は脳幹を直撃、心臓も呼吸も止めてしまった。緊急の電気ショックで心臓は動いたが呼吸は人工呼吸だった。病室に入って人違いであることを願っていたが本人だった。

 もう死ぬ事は確定している。心臓が止まるのが、3日後か? 1週間後か? それは次の日に訪れた。

 私と娘と婿殿と3人でその死亡確認に立ち会った。心臓が止まっても呼吸は続いていた。人工呼吸だから。

 彼女が倒れたとき、私は膝の治療に行くために歩いていた。ご近所のフィットネスクラブで倒れたのだが、救急車のサイレンが聞こえていた。それが彼女を運んでいるものとは知らなかった。治療の後、地区センターに寄って「川柳」の本を読んでいた。家に着くと若い女性(フィットネスクラブの職員)が立っていて、家内が倒れて、病院に運ばれていることを告げてくれた。彼女は私が驚かないことに不満の様子だった。

 私は家の中に入って、現金をポケットに詰め込んで、病院に急いだ。

 

私の震災体験

 東北の人達同様、津波を体験したわけではない。神奈川に居て、東急・田園都市線に乗っていた。溝の口を発車して直ぐに電車は止まった。アナウンスがあり、地震が来る・・・、直ぐに揺れた。窓の外の電線の揺れ、ただ事ではない。

 隣の人に「30分は止まりますよ」というと、「ええ、そんな〜」という反応だった。携帯や何とかフォンで情報を取っている人たちも居た。皆、静かに冷静だった。約1時間後、「徒歩で駅まで移動していただきます」と、駅まで数メートルである。バックすれば良いのにと思ったが、そうも出来ないらしい。

 結局、溝の口から長津田まで歩くことにした。東京に移住して36年、地震の時は家まで歩く・と覚悟していたが、その日が来たわけだ。

 4時間半、歩いた。途中、信号も消えていた。停電の箇所もあった。私の自宅は9時40分頃停電が解消した。約7時間停電していたことになる。

 後、計画停電

 これだけが私の今回の震災体験。


 今、原発をどうする、こうする、と、議論いろいろある。私は「都心に太陽光パネル」という意見である。原発の是非ではない。ご町内に「太陽光パネル」である。大きくても小さくても地震は起こる。それによる停電もある。そのときに、ご近所にある程度の発電能力があれば当座しのげる。その必用を今回の震災で体験した。

 遠くの耕作放棄地の太陽光パネル、私には原発と変わらない。ご近所の発電施設、まあ、原発のご近所に引っ越しても良いのだが。

税金を払うという権利

 権利・義務は表裏一体のものであって、只ほど高いものはない。税金は義務と言われているが権利でもある。同様に兵役も義務であると同時に権利でもある。また、文字を学んで教育を受けることも義務でもあり、権利でもある。

 積極的に参加するか、消極的に参加するか、また、それぞれの能力にもよる。

 それぞれの職能集団が官僚を形成している。日本では士農工商だが、中国やアメリカは士商工農になっている。この価値観の違い、無理に調整する必要はない。

中国という国について

 江戸時代、日本は士農工商という身分制度だったと云われている。これは緩やかなシステムだった。侍の株を買うことで商人が侍になることが出来た。幕末に活躍した坂本龍馬勝海舟、何代か前のご先祖が商人から武士になっている。

 中国の場合、士商工農という身分制度になっている。士とは共産党員、商はアメリカ系中国人、昔はイラン人やアラブ人だった。胡というのはペルシャ・イランのことである。工はドイツや日本で技術を学んだ人達。今回のパクリ新幹線、恥も外聞もないのはこの下級階層であるが故である。

 では、最下層の農、これは昔から棲んでいる漢族、純粋な中国人である。彼らに基本人権はない。

 米中合体の富裕層とそれに支配を甘んじている工農・ドイツ系・日系・漢系下層民、こういう基本構造を認識しない限り、現在の中国の姿は見えてこない。

 この士商工農の隙間にロシア・フランスが居て、いろいろと画策をしている。中国海軍の背景にフランスが居て、人民解放軍と対立している。ヴェトナムでの騒動、単純な米中対立ではない。中国国内の対立要素にそれぞれの国々の利害関係者がからんでいるに過ぎない。