政権交代は民主主義か?

 小沢を支持する人たちは「政権交代=民主主義」という発想である。だから、明治維新は良い事・善という歴史認識である。

 私は長年、明治維新に疑問を持ってきた。あれで本当に日本の社会が暮らしやすくなったのか?

 明治維新とは薩摩帝国主義と長州帝国主義の連携でしかない。その前身は紀州帝国主義による徳川宗家乗っ取りにある。

 1600年、関が原の戦いに勝って、家康の覇権が確立した。家康は「百里の道のりで九十九里をもって半ばとする」と言っている。この関が原はその「半ば」に過ぎない。

 家康の正妻は秀吉の妹であった。秀忠の正妻は信長の姪である。この信長・秀吉の権威の継承者として家康は政権を獲得した。無骨な三河武士団に今川家臣団、北条家臣団、武田家臣団と、滅びていった家々から才能のある家臣を吸収して、新しい時代の政治集団を作っていった。

 家康は歴史を重視した。特に、鎌倉の頼朝を研究した。そして、自分の幕府運営の手本とした。また、交易・貿易を重視して、オランダをそのパートナーとして選んだ。側近にはイギリス人もいた。

 敵は畿内に居た。そのために尾張紀州に宗家を支える息子達を配置した。越後の忠照や越前の結城氏に雄藩・加賀を監視させた。まだ、戦国は続いている。


 関が原の合戦とは何か? これは朝鮮征伐の残務整理と言って良い。秀吉の家臣団で事務方と現場武士団の対立だった。尾張時代の古参と近江時代の新参の対立で、その古参を家康は取り込んだ。その利用した古参を時間をかけて、一つ一つ潰していったのである。その総仕上げが大坂冬の陣・夏の陣だった。

 この夏の陣の不手際を理由に越後の忠照をも改易した。舅の伊達に対するけん制でもあった。【つづく】