右翼の原点

 西郷隆盛を敬愛する人が右翼で、中江兆民を好む人は左翼だと言った人が居るのだが、その分類でいくと私は左翼になる。

 1960年代、私が中学の頃なのだが、NHKテレビの夕方6時過ぎ、中学生向けの歴史ドラマを毎日やっていた。最初が司馬遼太郎の「龍馬がゆく」だった。その次が中江兆民で、私はその頃から、兆民に親しみを持った。

 これは大阪ローカルだったのかもしれない。司馬の龍馬伝、ブレイクの年限が私の記憶と数年ずれている。当時は地方と中央(東京)ずれが数年あった。

 西郷が北海道に逃げたという説がある。私はこれを支持している。顔が違う、上野の西郷さんの銅像の除幕式に奥さんが招かれて、「顔が違う」といったという。本当の顔は細面で目も切れ長で細かったという。

 隠れ住むために偽情報を流したと思っている。

 右翼というと鉄板で防備された情宣カーの上でアジるイメージなのだが、このルーツは大正時代、朝鮮人による家賃不払い運動にある。朝鮮人が家を借りる。家賃を払わない。大家が取りに行くと「国を奪った上家賃まで取るのか」と大家を脅す、大家が「出て行ってくれ」というと「立退き料をよこせ」と凄む。

 この時に、立退き料請求の専門家が居た。これが情宣右翼の原点である。金素雲の叔父がこれをやっていた。金素雲の父親は若手の大蔵官僚で当時。親日派と目された。伊藤博文が殺された同じ年に素雲の父親も殺された。27歳だったという。素雲は2歳だった。この父の弟から素雲は愛国教育を受けた。民族独立の尖兵となれ!

 15歳で大阪に来て、素雲が見た叔父は「立退き料稼ぎ」という醜態であった。


 時は流れて、平成の世に、在特会在日特権を許さない会・が出現して、「言っている事は賛成だけど、やっていることは支持できない」という日本人がブログに書いていた。

 その会のリーダーは斎州島の出身者という噂である。この斎州島出身者、日本では朝鮮人だが、韓国ではモンゴル人扱いとなる。高麗時代、約百年蒙古・元の支配を受けるのだが、斎州島は元の直轄地となった。

 アメリカに占領された日本が独立後も沖縄がアメリカの直轄になったのと似ている。

 高さんが多い。高というのは高句麗の王様の苗字でもある。