沖縄の独立と人間の自立について

 シュタイナーが社会三分節化理論を提唱した。そこでロシア革命を批判し、ヰルソンの国際連盟を批判した。ヨーロッパという先進国からみるとロシア・アメリカは後発の国で、英仏の世界支配に対して、それを超えるだけの「何か」を示さなければならなかった。

 それがロシアの場合、根底にロシア正教があり、その変形としてのプロタリアートの祖国を提唱した。理念・政治・経済原理の一元化したもので、その労働者革命で世界支配を達成しようとした。

 アメリカの場合、プロテスタントという個人の自立・自由を基本とする民族自決・一民族一国家・という方便を編み出した。これはウソであって実践されることはなかった。フィリピンがいい例でスペインからの独立を支援すると約束して、独立派を利用して捨てた。その独立記念日6月12日にピナツボ火山が大爆発を起こしてクラーク米軍基地を厚さ10メートルの土砂で埋め尽くしてしまった。

 アメリカの二枚舌は国連を始めとする国際会議と連携していて、建前で誘って本音で押さえこむという手法である。国際連盟しかり、昨今の地球温暖化しかり、提唱はするがそれには加わらない。

 シュタイナーの社会三分節化理論とは精神・宗教・文化という原理と政治原理、経済原理をそれぞれ分離すべきというもので、独立・自由というものは精神的・文化的・宗教的なものであって、政治や経済では成立しないというものである。

 この独立・自立という錯誤を利用してアメリカ・ロシアは冷戦構造を造り、それぞれが破綻した。それが20世紀の現実だった。これを第一次大戦直後、シュタイナーは見抜いていたのだから大したものである。

 沖縄は今、誰に支配されているか?

 私の祖母は明治17・1884年沖縄・本部で生まれた。その両親達は琉球処分那覇から荒地の山原・やんばるに追放された。祖母は19歳で結婚して80年間、砂糖キビを作り、99歳で亡くなった。97歳というカジマヤー(白寿)が過ぎても砂糖キビを作っている「元気なおばあ」ということで新聞記事になったこともあった。

 私の父は大正7・1918年沖縄・本部で生まれた。12歳の夏休み、大阪に遊びに来て居ついて、大阪で小学校・高等小学校を卒業した。学費は沖縄出身の有力者が出した。親戚ではない。当時、それが普通だった。平成2・1990年73歳、大阪で亡くなった。

 私は昭和23・1948年大阪で生まれて、現在、横浜に住んでいる。

 私が小学6年の時に、終戦でどう思ったのか? という質問を母にしたことがあった。母は黙っていた。で、「おとうちゃんは何してた?」と聞くと「泣きながら町内会の人たちと日の丸を竹ざおと一緒に燃やしていた」と母は応えた。

 父がどういう心境で日の丸を燃やしていたのか? それは分からない。ただ、これは私の推測だが、父は闘鶏が好きで、負けた鶏を直ぐに首をちょん切って食べていたという、日の丸と鶏を一緒にするのは不遜だが、これは日本人一般の庶民感覚かも知れない。

 日本人は敗戦によって、国家から見捨てられたのだが、日本人も国家を見捨てたのかも知れない。