私の言語環境について

 私の家系、世代間で言葉が違う。父は沖縄、沖縄の祖母は沖縄・本部の言葉を喋った。私が中学のときに大阪で会ったが、さっぱり分からない。

 父は13歳で大阪にやってきた。小学6年の夏休み、遊びに来て、大阪に居ついた。大阪の小学校に転入、あと2年高等小学校に通った。学費は大阪に来ている沖縄出身者でお金に余裕のある人が出した。別に、親戚ではない。昭和初期、それが普通だった。

 母は大阪の人で当然、大阪弁である。母は時々、父に「ちゃんとした日本語、喋り〜」となじった。父は反論しなかった。言葉には裏の意味がある。それが通じなかった。われわれの英語と同じである。

 私は19歳で大阪を出て、10年後、東京で所帯を持った。妻は山形の出身で英語が喋れた(アメリカに5年居た)私には娘が2人生まれて、当然、東京の言葉を喋る。私が電話で大阪弁を喋ると娘達は顔を見合わせて驚いていた。

 娘達は「お母さんは日本語と英語を喋るの、お父さんは日本語と大阪弁をしゃべるの」という。

 娘は大阪で私の母に「おばあちゃんは、どうして日本語を喋らないの?」と質問して、私の母を困らせた。

 私の娘は韓国人と結婚をした。フィリピンに居る。孫は韓国語・英語・日本語という順に言葉を覚えている。向こうのおじいちゃん・おばあちゃんには韓国語が通じるが、こちらのおじいちゃん・おばあちゃんには通じない。しかし、おばあちゃんには英語が通じる。

 で、私の家内には英語で話しかけてくる。

 妹の方は中学から韓国の学校に行った。大学では中国語を選択して、1年間、中国に語学留学をした。韓国語はソウルの言葉で地方出身の韓国人から「私より綺麗な韓国語を喋る」と言われている。

 娘が言うには「ケンカするなら韓国語がいいわよ。語彙が豊富だから」韓国では村上春樹を読んでいたという。娘の場合、村上春樹を韓国語・中国語・日本語という順に読んだ。中国語の勉強には役立ったそうだ。

 25歳のときに「もう、村上春樹、卒業するわ」といい、結婚して本は全部置いていった。その本を今、私の家内が読んでいる。