共存共貧を考える
共存共貧とは生態学からの言葉であって、原点確認が必要であるが、正解(栗原康「有限の生態学」岩波新書・1975)を見る前に自分なりの答案を作成するのも意義がある。外れていれば、それはご愛嬌として笑っていただこう。
江戸時代、鎖国をしていた。ある意味、フラスコの中の状態に似ている。そこで何が行われたのか?
ただ、明治政府のプロパガンダ・マインド・コントロールを解くところから始めなければならない。鎖国とは為替管理であって、オランドを通じで門戸は開放されていた。また、イギリスとの差がつくのは蒸気機関が発明・実用化された産業革命以降であって、50年程度の遅れであった。それを「徳川300年の遅れ」とアジテートしたのが明治維新だった。
ニュートンの万有引力の学説はフランスより日本の方が早い時期に翻訳・紹介されている。日本の最先端・情報は常に世界のトップレベルだった。
それはイギリスの情報部(ヴィクトリア女王)は十分認識していて、中国と日本に対する外交姿勢に現れている。確かに、ロシアに対抗するためという打算もあるが、日本国の文化レベルを十分に理解した外交戦略を持っていた。
有限⇒リサイクル、全てが薔薇色ではない。そこの現実をどう認識するか、そこから江戸時代の共存共貧を描ければいいな〜と思っている。