今ここにはたらく神を実感すること・について

 神道が宗教であるか? どうか? という議論がある。

 宗教には教義が不可欠で、しかし、神道には教義がない。「こと・あげ・せず」と・言葉での弁明・言い訳・を不謹慎・はしたない・というセンスである。だから、裁判は馴染まない。

 集団にはたらく空気を神とする。良い場合もあるし悪い場合もある。だから、大日本国史を編纂した水戸光圀などがご意見番として重宝される。

 しかし、現実は歴史にはない新しい出来事の連続として迫ってくる。常に、若者がそれを実感する。明治維新がそうだった。日本では若者を尊重する。若者の感性が尊敬される。

 今ここにはたらく作用を神とした神道存在論の教義を忌み嫌う、戒律・法律を無視する破戒坊主やヤクザ者が時として尊敬される。今東光などはその典型だし、昔の作家・太宰治などはヤクザ者だった。

 司馬遼太郎松本清張などはその先輩達に憧れたが、常識人として、ただ、妄想を書き連ねた。この灰色の、また、黒い霧の向こうに、何かを今の若者達は見ている。