朱子学の系譜

 敗北を正当化する学問が朱子学である。

 伝統的な中国は元によって滅ぼされた。江戸時代の日本は士農工商という職能による階級社会だったが、中国の場合、士商工農という政治家と商人が強く結びつく社会を造っていた。

 商人はアラビヤ人やインド人であって、国民国家という概念で中国を律する事は出来ない。現在の中国では「商」を担っているのは中国系アメリカ人である。「士」は共産党であり、人民解放軍である。

 日本やドイツで技術を学んだエンジニヤーは「工」として、商人の下に置かれている。「農」は昔から大陸に住み付いている純粋な意味での中国人で戸籍の点で彼らは差別を受けている。

 都市と農村の差別構造、これを破壊しようとしたのが毛沢東文化大革命だった。

 元の支配を受け入れるための政治学朱子学だった。これはイスラーム哲学と共通項がある。イスラーム諸国はギリシャ哲学の継承者だった。それらの哲学がイスラーム諸民族の血肉となったのは、サマルカンドが元・蒙古人の手によって滅ぼされてからである。

 日本を中国の辺境として理解しようという発想は朱子学から来るものである。

 蒙古の貴族達の伝統はロシアの貴族に受け継がれて、ソビエト共産党が受け継いだ。


 江戸時代の初め、日本は大陸に屈服した。それは秀吉の外征の言い訳を朱子学者達が考えた。本来、大陸進出は信長のプランだった。美濃の国の井口を岐阜を改めた、それは中原に出て天下を取るという宣言である。その天下とは日本ではない。アジア大陸を意味した。その大目的を継承者である秀吉が実行して挫折した。

 その後、家康が日本の主導権をとった。「天下をとった」わけではない。家康政権の正当性は信長の継承者であることにあった。しかし、大陸進出の責任は秀吉にのみ押し付けた。

 歴史の改ざんがなされた。それをやったのが朱子学者たちだった。その人たちの伝統は現在の東大に受け継がれている。