貧乏神の戯言
昨日4時間ラジオを聞いていた。永六輔と久米宏の番組。永には北山修が出ていて、久米には黒柳徹子が出ていた。その後、3時間散歩。約10kmは歩いた。
永も北山も貧乏神だと思う。自分の作詞能力が無くなったので作詞しなくなったと、正直に言えば良いものを、金儲けが嫌で「足を洗った」と言い訳をしていた。愚劣な連中である。
関東の文化人、ほとんど貧乏神である。
黒柳徹子、オートクチュールの骨壷を持参していた。既成の骨壷が野暮ったいのを知って、注文して造ったという。
久米は「昔、映画館、満員だった。それが、テレビの出現で衰退した。自分はそれを見ている。テレビもある瞬間から誰も見なくなる」と若いテレビ人達に話しているという。
私は数年前からテレビを見なくなった。一番大きな理由は出ている人達の顔が年老いてしまったからで、「ああ、オレもそうなのか!」と思ってしまう。
ラジオは昔からの声で年を取らない。北山修は自分を写す鏡は必要なのだが、はっきりと写す鏡だと幻滅してしまう。ちょっとかっこ良く写してくれる鏡が良いんだという。
確かに、ブログにエントリーすると「ちょっとカッコ良く」写っている。