葬礼の客
家内の幼友達が葬礼の客として我が家を訪ねてくれた。昨日、メール・アドレス変更の知らせが家内の携帯に入った。で、今日の来客となった。
七夕の夜の過ごし方
七夕、夜は曇っているかも。久しぶりに散歩にでも出るか?
希望と言う名の重い荷物
希望は重い荷物だという。昔、担いでいたような記憶があるのだが、それがどれほどのものなのか? 思い出せない。それって、本当は担いでなかったのでは?
連れ合いを送り出すということについて
伯母の話である。私の母より2歳上、熱心な浄土真宗・西の門徒だった。夫が倒れて3日後に臨終となった。医者は「子供さんが来られるまで生命維持装置付けて置きましょうか?」と尋ねた。伯母は「お迎え、待たしたら、悪うおまっさかい、外しとくんなはれ」と言った。
準備していた小さな鉦を鳴らし「南無阿弥陀仏」と唱えて、夫を向こうの世界に送り出した。連れ合いとしての特権である。
この話、母から聞かされた。私の中で何度もこの話繰り返されている。私も伯父同様、妻から向こうの世界に送り出されるであろうと想定していた。しかし、現実は逆に私が妻を送り出すことになった。
臨終には私と娘とその婿殿、3人が居た。私は妻の額に手を当てて、神様の元に戻る・天国に送り出すためのお祈りをした。【倒れても夢かけ巡る五番街】
別れは悲しいけれども、また、会えるという希望がある。私にとっても地上に残された期間は少ない。その残されたテーマをどう生きるか?
生老病死という楽しみ
ある仏教信徒からお釈迦様のお話を聞いたことがある。人間の悩み・苦しみ、それは「生きる・老いる・病・死」と4つあるとか。四苦八苦というが、4x9+8x9=108という煩悩の数にあるという。
私は家内の死に直面して、この4つ、生きる、老いる、病気、死を体験・直面した。私はこの4つ、苦しみとは思えない、むしろ、それを楽しんでいる。逆風によって飛行機は上昇、より高い軌道に乗る。
煩悩があるから楽しいし、前に進める。何もやらない言い訳をお釈迦様の言葉としてしているように思える。