連れ合いを送り出すということについて

 伯母の話である。私の母より2歳上、熱心な浄土真宗・西の門徒だった。夫が倒れて3日後に臨終となった。医者は「子供さんが来られるまで生命維持装置付けて置きましょうか?」と尋ねた。伯母は「お迎え、待たしたら、悪うおまっさかい、外しとくんなはれ」と言った。

 準備していた小さな鉦を鳴らし「南無阿弥陀仏」と唱えて、夫を向こうの世界に送り出した。連れ合いとしての特権である。

 この話、母から聞かされた。私の中で何度もこの話繰り返されている。私も伯父同様、妻から向こうの世界に送り出されるであろうと想定していた。しかし、現実は逆に私が妻を送り出すことになった。

 臨終には私と娘とその婿殿、3人が居た。私は妻の額に手を当てて、神様の元に戻る・天国に送り出すためのお祈りをした。【倒れても夢かけ巡る五番街

 別れは悲しいけれども、また、会えるという希望がある。私にとっても地上に残された期間は少ない。その残されたテーマをどう生きるか?