阪神・淡路大震災から16年

 神戸の大震災という記憶が強く、淡路を忘れていた。私が中学2年のとき英語の先生が突然、授業とは関係のない話をし始めた。「みんあな〜、神戸地震ないと思とるやろけど、明石と淡路にかけて活断層があるんや。あれが動いたら、とんでもない、ひどい被害を受けるんや」

 昭和36・1961年のことで、その34年後にこの活断層は動いた。この話私はすっかり忘れていたが、地震が起こってから、そう言えば「先生、ゆうとったな〜」と思い出した。

 昭和60・1985年ごろ、東京の不動産屋では「地震のない神戸」を目玉に神戸のマンシュンを関東近在の金持ちに売り込んでいた。

 昨夜、Digで岡宗秀吾(TVディレクター)さんの体験談が語られていた。当時、彼は21歳、男2人と女1人のHな行為の真っ最中に地震が起こった。尼崎のラブホテル、震源地からは遠かった。ホテル代を払わず、彼女を自宅に送り、オンボロのカローラを満タンにして、明石までの自宅に帰った。学校は大阪で通学できず、被災に合っている友達の救済活動を始め、彼の自宅で10数人が共同生活を始めることになった。

 岡宗さんは言う。「世間体という常識が壊れた、皆、同じ人間、男と女で、笑いながら行き始めた」

 多分、これは映画になるだろう。


 日本人に危機意識がないという。これは危機に関する情報回路を断ち切っているからだと思っている。阪神淡路大震災で6000人以上の人たちが瞬時に命を失った。台湾の豪雨で山間の集落1つが大規模山崩れ、瞬時にその集落500人が命を失った。神戸はその12倍。

 東京で、もし、大地震が起こったら? それは覚悟の上で、危機に関するアンテナを遮断している。

 「生き延びたいのなら」早く東京を脱出すべきで、そのために神戸にマンションを買って被災した人たちがいた。満州事変の動機は関東大震災にあると思っている。東京は帝都として相応しくない、で、満州にパーマネント帝都を、これはアメリカ流の強盗の正義である。

 「生き延びるための」満州ライフスタイル、核家族・高学歴・高収入、これが戦後、特に、昭和の高度成長政策の基本となった。

 今、バブルが破綻して、「何時、死んでもいい」平成ライフスタイルが模索されている。

 日本列島はアジア大陸の東にあって、それ以上は太平洋、行き止まりである。大陸で夢やぶれた人たちの溜まり場であった。彼らは弱い強盗であって、善良な政府を作り上げていった。



 阪神大震災の前年、ロスだか、シスコだかで地震があった。両方とも満月の夜だった。今年の最初の満月は20日である。