自殺願望と自殺衝動

 私には自殺願望はないが、自殺衝動はある。高校時代からで、電車に飛び込もうという衝動である。で、電車待ちの時にホームの最前列には立たない。この45年ほどそうしている。死ぬことに吝かではないが人に迷惑をかける。

 仲の良い2つ年下の従妹がいたが、彼女、小学生の1年か2人の時に赤痢で死んでしまった。彼女、時々、人生を悟ったような言葉を口走っていた。それが、私にとっても共感できるものだった。享年7歳、そのベットに横たわった死顔、私が最初に見た人の死だった。

 小学5年のときに仲の良かった同級生が北朝鮮に帰還した。彼が別れを告げに来たとき、私は家に居なかった。母が「朝鮮なんかに去(い)なんと大阪に居ったら良いのに」と彼に言うと「大阪で差別されて暮らすより、祖国の建設のために尽くす」と彼は言ったそうだ。11歳の彼の言葉と映像が私の記憶の中に居る。

 中学2年のとき、同級生に筋ジフトロジー・進行性筋萎縮症の人が居た。試験の後で、よく答え合わせした。彼は進学を希望したが、当時、それは難しかった。17歳で彼は死んだ。丁度、東京オリンピックが開催されていた頃だった。

 岐阜で知り合った大学院生が居た。彼に研究課題を聞くと「都市近郊における・・・」と説明を始めたのだが、「まあ、森林浴という言葉、後、10年もすればマスコミも使い出しますから」と簡単に言いまとめてしまった。彼は交通事故で死んだ。

 彼の予告通り、10年も経った頃、マスコミで「森林浴」という言葉を使い始め、都市近郊に「〜市民の森」の建設がはじまった。時々、近所の「市民の森」に散策に行くが案内人は20代の彼である。

 岐阜時代、教会で知り合った30歳代の綺麗なお姉さん、一人はお風呂の事故で、一人は子宮ガンで亡くなった。

 知り合い2人、心筋梗塞で亡くなった。一人はダンプの運転手で車の洗車中発作を起こした。48歳だった。もう一人、抽象画家だった。仲間と作品展を計画していたのだが、当日、来ない。で、その仲間が彼のアパートを訪ねると、彼は製作中の画布にうつ伏せになっていた。死後3日目の発見だった。享年53歳。

 その年の暮れ、私が心筋梗塞で救急車で運ばれることになった。私は命拾いして12年が経った。

 私は自殺しようとは思わない。自殺は贅沢だと思っている。私の記憶の中で生きている死んでしまった人たちの分まで生きようと思っている。