宇徳敬子と薩摩三義士

 宇徳敬子は鹿児島の高校から岐阜・大垣の短大に進学している。この鹿児島県と岐阜県、姉妹県を提携していて人の交流が盛んであって、短大とセットになった紡績工場に鹿児島からたくさんの女の子達が来ている。宇徳敬子もその一人なのかもしれない。

 なぜ、姉妹県になったのか? それは江戸時代、長良・揖斐・木曽という河川の合流地点の堤防工事を幕府は薩摩藩に命じた。財源不足からの手抜き工事、その事件の発覚、責任をとって薩摩藩士3人が腹を切った。岐阜ではその3人を義士として称えている。

 私は73〜74年(昭和48〜49)の2年間岐阜に居た。あるとき、羽島の知り合いを訪ねた。庭にお墓が3つあった。昔風の上から三角・丸・四角の形である。その家の人に「誰のお墓ですか」と聞くと、3義士に殉じて、名主3人も腹を切った、その名主の墓で、当家はその墓守を代々やっているという。

 宇徳敬子の歌を聞きながら、岐阜の人達に思いを馳せている。