大阪という街について

 私は大阪生まれの大阪育ち、19歳まで居た。後、東京47日、金沢・富山5年7か月、岐阜2年、東京・川崎・横浜35年(10+18+7)。

 今、横浜に住んでいる。しかし、横浜といっても町田や大和に隣接した処で長津田という厚木大山街道の江戸時代からある宿場町である。相模と武蔵の国境・境川鶴見川の支流があり、小高い山並みの上で、砦としての役割も果たしている。

 上方軍が江戸に攻め込んだ時の防衛線で、江戸の出城の役割を担っていた。今、その後遺症で車が渋滞する。

 私は大阪の極一部しか知らない。自分の生まれた西成区、中学・高校で通った住吉区、後、それに隣接する、大正区阿倍野区くらいで、後は知らない。

 十年前、大阪出身の職人さんに会った。彼の父親が私と同じ小学校で同じ学年だった。それを契機に昔の記憶をよみがえらそうとしている。地図もパソコンのがあって便利である。

 結論から言うと、記憶の中の大阪であって今の大阪を知らない。で、7年前、横浜引越しを期に大阪の事は封印した。しかし、6年前からブログをはじめた。今の大阪情報がリアル・タイムで飛び込んでくる。